★ 明日のナージャ個人的打ち上げ会場 ★

どれみに引き続き、参加させて頂いた作品「明日のナージャ」への私からの気持ちや思い出、愚痴(笑)などを書き込んであります。
お時間がある方、どれみやナージャを理解できている方、不快感の無い方でご興味が有る方はお読み下さい。
(ま、わがままオヤジの戯れ言ですんで、絶対に無理して見て、文句を言わないように(笑))


ローズマリーと言うキャラは色々な意味で人気があったようですが、自分は人間くささで好きだったんです。 恐らくはこう思っている人もいるかと思いますが、ナージャは理想家でローズマリーは現実家だと。

先ほど明日のナージャが終了いたしました。
まあハッピーエンドで終わることは、皆さんも判っていたことでしょうけど、めでたしめでたしですね(^-^)

今日はアニメーター復活第二作目になる明日のナージャへの自分への気持ちと今だから言える、ちびっと裏話や感想を交えましてお話ししたいと思います。
まあ自己満足な世界になっているかと思いますが、ご興味が有る方はご覧下さい。(また夏コミには、どれみの時と同じように打ち上げ完全版をお見せしたいと思っております。 お楽しみに。)

さて、どれみでアニメーターに戻った経緯と理由については、前々から書き込んでいますので、今更はなす事はないのですが、その時に入っていた条件の一つで「オリジナル作品なら」と言うのがあったんです。
これはスタッフの方とお茶とか飲んだときにも話していたんですが、どれみの後番組がオリジナル作品だったら是非続けて参加したいけど、原作付きの場合は考えるかも…って。
どうして「オリジナル」にこだわるかと言うと、表現の部分なんですが、どうしても感性職である「漫画」を技術職である「アニメ」にした場合、漫画に制約を持たせずに、アニメの方を漫画に合わせようと制約するわけです。
すると漫画よりもっと上手く表現できても、漫画のイメージや世界の範疇から飛び出せないと言うのがあるんです。
怒下手くその自分が言うべきじゃないんでしょうが、どれみの場合はオリジナルであり、アニメが主体であったために、アニメーターの技術の素晴らしさが幅広く見られたと思っているんです。

だからアニメーターの技術の勉強にもなるんじゃないかと、自分ではそう思っているんです。
ただ誤解の無いように言っておきますが、原作付きももちろん制約付の中でどれだけ漫画をアニメとして表現するかは難しいことですし、大変なのは判っています。
言い訳っぽい言い方ですが、自分みたいにただ下手くそなアニメーターは制約があると、なおさら描きづらいコトもあります。
あと見ていない漫画をアニメーターで描いていても思い入れが少なくなると言うこともあります。
そのような要件が入り交じって、生意気かも知れませんが、自分ではオリジナルにこだわっている訳です。
まあ、そんなこんな言ってアニメーターに戻り、2年目になりますが、本当に良かったと実感が増える一方です。
HPにもたまに書いていますが、重要なパートやCMまでもやらせて頂き、自分が目的としていた絵の勉強が色々な形で出来て、なおかつ本当にスタッフの方々が温かい人ばかりで、生意気な言い方になりますが、本当に居心地が良いのです。
もちろんオイラのような遅筆な奴は、アニメだけで生計は成り立たないので他の絵の仕事をやっていますが、アニメで学ばせて貰ったコトが、至るトコで役に立って感謝の言葉しかないです。
生徒にも言っているコトですが、アニメーターからは漫画家になれるかも知れないけど、漫画家からはアニメーターになることはまず無理って言っているのですが、ホント、アニメで勉強したことは漫画にも役に立ちますね。
漫画で悩んでいる子はアニメで勉強したら良いかも。
オイラの場合は一往復しちゃったけど…(笑)。

ローズマリーは自分の恵まれない境遇の中から空想の世界へ逃れます。 それはまさに携帯やインターネットに逃れる子供のように。
しかしいろいろな経緯で自分の空想が現実に出来るチャンスを得るわけです。 いままで空想の世界だった、全ての物が手の上に実感として存在するのです。
なかなか作品の話に入らないので、怒られてしまいそうですが(苦笑)、どれみが終了した後、感動に浸る暇ないくらいに仕事が来たわけですが、やはり名作劇場路線っぽいモノと聞かされていたので、名作劇場ファンには嬉しいアンド楽しみで、なおかつキャラデが中澤氏ですからね、ホント期待を胸に始まりましたけど、しょっぱなからスケジュールがきつく、本当に大丈夫か?って毎日胸を痛めていたのも事実です。
ましてや、どれみの頃よりも線も多く、動きやクセも一から学ばないといけませんからね、物覚えが老人並みのオイラは大変でした。
でもホントそういうときに周りの方々が良いアドバイスや意見を言ってくれて、本当に助かりました。
そろそろナージャのお話の方にいかないと怒られそうですが(苦笑)、その前にチビットだけ愚痴を言わせてくださいm(__)m。
良く言われることですが、ナージャが史実とあっていないとか聞くのですが、教科書や書物に残っている歴史が全てでしょうか?
実は隠れたところに、本当にナージャがいたかも知れない…。
そう考えたって、おかしくもないし、逆に歴史が面白さ倍増になってくると思いますよ(^-^)。
下の方で子供達へ伝えたいメッセージも書いてありますが、ナージャとは直接関係ないかも知れませんが、見えるモノ全てが正しいわけではないと言うのも、学んで言って欲しいと思います。
教科書が全てではないです。
そんな教科書に載せられるほど歴史は薄いモノではないと信じております。
ナージャが本当にいた歴史も想像・空想しながら作品を楽しみコトをお勧めしますm(__)m。
さて明日のナージャと言う作品は、一人の少女がまだ見たことも無い母親を捜して旅をすると言うのが基本的な部分で、この段階で、もちろんハッピーエンドで終わるんだろうと、想像のつくものの、ナージャの旅を通して感動や共感を得るのですが、やはり一番主軸となっているのが人と人との繋がりでしょう。
ナージャは旅を通じて、人と人との繋がりは金銭的なもの、損得勘定ではないことに気づき、強い信頼関係が一番大切だと知ります。
それは金や物では作れない、相手を理解し、相手の気持ちになって、相手を受け止めることで長い年月をもって得られる事と知ります。
一方貴族の方はと言うと、金と外面だけが必要であって、人との繋がりもそれに準じた物になってしまっています。
もちろんそんな貴族の中でもフランシスやコレットは違う考えを持っていましたが、巨大な貴族世界では異端児扱いになっているのも作品中表現されています。
ナージャはそんな中、途中で自分は貴族の血を引く者と知りますが、まったくもってその事実を気にする事はありません。
彼女は金や物や権力よりも友人や母が大切なことを知っているからです。
金で買えない物が有る以上は、どんなに財産がある貴族でも太刀打ちできません。
ここに現代社会への問いがあるのでは無いでしょうか?
ナージャの周りには、貴族やお金持ちも多く登場します、しかし誰一人ともナージャを自分勝手に動かすことは出来ませんでした。
母への愛、母子の絆は、世界中の何を用いても壊すことが出来ないのです。
アメリカの人種差別問題もそうですが、やはり貴族世界の時代、差別は現代の我々が絶対に想像できないくらいの辛さはあったと思います。

ホント、ローズマリーって色々な表情を持っていましたね。
その天文学的なチャンスをローズマリーは得たわけです。 そして彼女は友情を裏切る。
現代社会でここまでの苦労を重ねて、母に会いたい子供は何人いることでしょう。
児童虐待が毎日のように流れている今の時代、ナージャの歩んできた道というのは、我々から見れば、羨ましく憧れなのかも知れない。
彼女はこれだけ文明や文化の発達しているのにも関わらず、人との交わりが薄くなっていくという逆行の世界に住んでいる我々から見ると、お金では買えない、素晴らしいモノを数限りなく持っているわけです。
最後にナージャは孤児院の制服を誇らしげに着て、新しい旅へ向かいます。
権力や家柄だけを守ろうとしたプレミンジャーは、そんな小さな少女に負けるのです。
今までの旅の中でナージャが作ってきた人の繋がりは、そのような巨大な権力や財力に勝つのです。
どれみの時もそうですが、先々代の女王がどんな力を持っていても、たかが魔女見習いの一少女に負けるのです。
これこそが子供たちに伝えるべきメッセージです。
全てとは思いませんが、現代っ子は人とのコミュニケーションを携帯やインターネットに求め、人のぬくもりや支えてくれる力さえ感じ得ない子も多く、パソコンや携帯で打ち込んだ文字のみが真実と見誤りがちです。
人は目と目を合わせ、話し、語ることで意思の疎通が出来、真意が見えてきます。
人と会うことによって、その人の見えない部分も見えてきて、場合によっては、繋がりも出来てくるわけですからね。
結局ナージャは豪華な服も家も金も捨てて、一座に戻りました。
しかしそれによってナージャを差別したり、好きだった人が嫌いになる事はないです。
「ナージャ」が好きだからです。
どれみファンの方もそうですが、どれみがドジをしようが、テストの点数が悪かろうが、どれみを好きと言う気持ちに微塵の変化もないはずです。
人を愛すると言うことは代償を求めてはいけないのです。
何やら流行言葉で「等価交換」って言うのがありますが(苦笑)、愛することは等価交換ではないと思います。
しかし、広い意味では等価交換かも知れません。
ナージャは人を喜ばそうと踊る、その代償の賃金を貰う、これは生き抜くための仕事であり、等価かどうかは判りませんが交換にはなるでしょう。
しかしナージャが好きになった人、ナージャを好きになった人が相手のために何かしてやろうとしたとき代償を求める絵はありません。
等価交換ではないです、しかしそれによって相手が喜んでくれると言うコトが代償として受け取れる人も多くいるのです、それで十分な等価交換になるんです。
そのようにナージャは、どれみの時と同じように、どんなに限りない大きな力でも、通販で売っていない、デパートでも売っていない、掲示板の文字だけでも作れない、人と人との信頼、友情、絆には勝てない。

ある意味、もっとも不幸なローズマリー。
彼女も幸せになって欲しいです。
彼女にとって友情の価値よりも公爵家の価値の方が上だったわけです。 まさに悪い意味での資本主義の構造ですよね。

オイラが唯一描いたコレット。
だからどうした(笑)。
しかしどんなに頭が切れようが、演技が上手かろうが、結局金で買えない「人」を多く持っていたナージャに負けるのです。
何度も言うようですが、これからの子供たちに必ず必要な事なんです。
人間はどうあっても一人では生きていけない弱い生き物です、なのにも関わらず他人との接点を少なくしようと社会が変化していきます。
だからこそ、直接人との対話やぬくもりを感じる事が大切なんです。
争いや憎悪からは本当に何も生まれません。
判っているはずです。
人には必ず守るべきモノがあるはずです。
見えない人もいるかも知れませんが、必ずあるんです。
それが親であるか友人であるか恋人であるかは判りません、ペットかも知れない。
それを目に見えるような欲望の犠牲にしてはいけないのです。
どれみの打ち上げの時にも書きましたが、洗って落とせる汚れは全然汚くありません。
人には洗っても落とせない汚れが付くことがあるんです。
その汚れは、おそらくその人にとっては一時の価値のある、おいしい、綺麗なモノでしょう、しかしそれが付いてしまうと生涯にわたって、あなたの邪魔になる汚れになってしまうのです。
子供たちに判って欲しいのは、ナージャのように自分を信じ、友を信じ、目標を忘れずに、ただひたすらにひたむきに進んでいって欲しいと言うことです。 途中いろいろな妨害もあるでしょう、迷いもあるでしょう、しかし頑固なまでに目標を追い続けることが人間の特性でもあると言うのを判って貰いたいです。

最後にこの「明日のナージャ」の主題歌を歌っていただいていた本田美奈子の御冥福を祈ると共に、現在彼女と同じ病気に苦しむ多くの方達に、どうか素晴らしい明日が来ることを信じ、祈っていきたいと思います。
明日のために出来ることとして骨髄バンクへのリンクを張っておきます。
少しでも興味を持っていただいたり、覗くだけでも構わないと思いますので、是非クリックしてみてください。
○日本骨髄バンク(http://www.jmdp.or.jp/)

…実はわしもプリキュアを楽しみにしとるんじゃ…

…しとるんじゃ…プレミンジャ…、…フフフ。
ローズマリーは現代社会の偶像ではないでしょうか? 私はその哀しさと儚さに人間くささと共感が持て、好きだったのです。

長文読んでいただきありがとうございます。
しかしまだまだ書ききれないコトも多いので、このHPや機会があればコミケとかでまた打ち上げ完全版を読んで頂きたいと思います。
その時はどうかよろしくお願いいたします。

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